御曾曾けいのログ

ただの老いた人間です。

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飲み会が好きだった私、今は虚無の顔

飲み会と聞くとワクワクした姿も今は見る影もなく、その名前を聞くだけで私の顔は虚無となります。

これは協調性と引き換えに手に入れた客観視の代償でした。

 

おいくら

両側からそっぽを向かれる私

飲み会 嫌い

確かに楽しかったはずの飲み会は今は苦痛でしかありません。拒否反応は社会人になってから出るようになりました。

 

大学生の頃はお酒が一切呑めないにもかかわらず、意気揚々と参加していました。いろんな人の話を聞くのが大好きだったからです。
それが今やアンチ飲み会派……大きく心変わりしてしまいました。きっかけと呼べるような事件はありません。


学生と社会人の飲み会で何か違うものがあるとしたら、相手との距離感でしょうか。同じサークルの集まりだと普段から話しているので飲み会に言ってもノリは変わりません。社会人は同じ部署でも飲み会で初めて話す人がいたりして、案外狭い世界で働いていたりします。

 

席数の関係で他部署の席になることだってあります。そんな時に人見知りの私は殻に閉じこもってしまいました。
コミュ障な私は雑談を自分から振るというのができず、そういう受け身な人間は自然と隣の人からそっぽを向かれ、そんな自分に嫌気がさしてしまっただけなのです。

 

一時期はそんな状態から抜け出そうと頑張りました。でも、決まって私の口から出るのは仕事がらみの話で、ガス抜きの場にはふさわしい話題ではありません。そうなると本気で話題が浮かびませんでした。

 

あらゆるハラスメントに気を付けなければいけない、と思ってしまっていたのも飲み会が苦手になってしまった理由のひとつです。女性が男性に「彼女いるんですかー?」と普通に聞いているのを目にした時は信じられなかったです。鉄板のセクハラネタにひとりヒヤヒヤしました。でも、そんなのは杞憂で、聞かれた男性社員は普通に「いるよー」と答えてそのまま楽しそうに会話を進めていきました。

 

自分はハラスメントが怖いことを言い訳に会話から逃げているから、飲み会に馴染めないのだと痛感しました。そして、他人と関わらないからいつまでも相手ごとに振っていい話題とダメな話題の雰囲気が読めないのだと気づきました。

コミュ障なりの飲み会の参加の仕方

飲み会 参加

何か話さなきゃと力むと、休日の過ごし方といった無難な話題しか出ません。なので私が振った話題は答えてはもらえるものの、盛り上がることは絶対になく、いつも外す自分がみじめに思えました。

そして自己嫌悪がやがて怒りへと変わっていきました。飲み会の適性がないのに強制参加させられる行事系の飲み会では、何度呑んで吐いて場をぶち壊してやろうと思ったか分かりません。

 

そんな私も社会の波に飲まれ、痛い目にも遭って、ようやく飲み会の過ごし方を学びました。

 

まず、飲み会で黙り込んだまま食事だけしていると悪目立ちをしました。地蔵でいるよりも空いた皿を廊下に出したり、大皿の料理をよそったりして参加している体をとりました。料理をよそうのは、今の時代好まれない可能性もあるので積極的にはやりませんが、苦手な食材の確認で口火を切って主導権が握れるメリットがあります。

 

雑談に関しては、今後の人間関係にヒビは入れたくないので相槌や既に目の前で話題を広げて参加しています。両隣にそっぽを向かれても、片方のグループの一員かのように体をそちらへ向けて、相槌やリアクションをしておくだけでも違ってきます。どちらのグループにも加わらないと周りが気を遣って変な空気を生むので聞く姿勢は大事です。

 

これらのことをするだけで、毒にも薬にもならない人間のまま飲み会を終えることができます。

 

社会人の飲み会は会話のさじ加減がとても難しいです。腹を割りすぎても、割らなさすぎても浮いてしまいます。

不参加が一番ですが、やはり角は立つでしょう。

私はもう無理にテンションを上げて会話で失敗するのは嫌です。だから、周りの会話に加わっている体をとって口数少なめで参加するほうを選びました。

 

受け身な人間なら、自分なりの飲み会の処世術を身につければいいのです。処世術は自分と周りの立場を守るための生きていく術なのですから。

 

おいくら